ほくそう春まつり号に乗ったお話。
どうも、Kumaichiです。
明日は学校のマラソン大会なのですが、体力が持つかどうか怪しいところ……。
昨年は中学生の頃に陸上長距離をやっていたぶんの体力で何とかなっていました。
が、今年はどうも授業で記録が伸びない。ヤバいぞこれは、ゴールしてそのまま人生もゴールしちまうぜ(
まぁ、死なない程度に頑張りましょうか。
本題。
4/24 ちょっと早起きして習志野駅へ。
残り1編成となった8800形の千葉直塗装。いつまで残るでしょうか。
なんて思って見送りましたが、半年以上経った今も相変わらずこの色です。しばらくは安泰でしょうか?
さて、松戸行きに乗って新鎌ヶ谷を目指します。
新鎌ヶ谷で北総の1日乗車券を購入。
そしたら新京成で京成津田沼へ戻ります。って、戻っちゃうの?北総乗るんじゃなかったの?
京成津田沼から京成の普通で成田方面へ向かいます。
ふっふっふ……。この魔導書さえあれば私は無敵……。
んなわけなかろう。中身読まないと身に付かねぇよ(
閑話休題。
佐倉の風車を横目に通り過ぎ、
管制塔のおひざ元、東成田駅で降りました。
珍しく向こうのホームの明かりも点いていたので、新旧の駅名標でコラボ。
高い壁の上に手を伸ばし、2か月前に訪れたコンコースを撮影。
コーヒーでも飲んでいきたいところですが、お店の人の姿が見えませんね。あきらめましょうか。
広告の隅にこの前宗吾参道で見たAE形を発見。
おっと、ホームに人だかりが。
実はタイトルのほくそう春まつり号、2016年は東成田から高砂を経由して千葉ニュータウン中央へと運行されたんです。
今回はそれに乗ろうじゃないかってことで、ここまで来ました。
なお、人だかりですが、
東成田に到着しても改札を出ずに折り返し乗車
到着番線を確認せずに待機し、直前になって隣のホームへ移動(結果最初からいた人の前に割り込む)
と、私から見れば鉄道ファンの風上にも置けない屑共です。
ええ私から見ればです。私の考えを屑の皆さんに押し付けることはしませんので、どうぞ今後も変わらず素敵な鉄道ライフを送ってください。欲を言えば折り返し乗車をして拿捕られてくれると一番助かります。
くるくる回る幕。レアな行先もありますね。
快速ですって。普段出さないだけあって、北総車が快速幕掲げてるのには凄い違和感を感じます。
特製のステッカーが貼られていました。丸っこい9000形かわいい。
運転席は計器が横にずらっと並ぶほかはマスコンとブレーキ弁しかないシンプルなつくり。
所属するのは千葉ニュータウン鉄道、でも横のプレートは北総鉄道。
「そもそも千葉ニュータウン鉄道って何だ、聞いたことないぞ」って人も、もしかするといるかもしれませんね。
現在の北総線は、2つの事業者によって形成されています。
1つ目は北総鉄道株式会社。京成が筆頭株主で、沿線自治体も出資してます。
2つ目は千葉ニュータウン鉄道株式会社。京成の100%子会社です。
そうなんです。
北総線の線路と駅等の施設は、
小室から印旛日本医大までは千葉NT鉄道の物
となっています。
それから、北総線の印西牧の原に車庫があるんですが、そこに所属する電車ありますよね。
ブレブレですが、まずは7300形。これは北総鉄道の所有する電車。
しかし9100形。これは千葉NT鉄道が所有する電車。
それと今回乗る9000形、後で紹介する9200形も千葉NT鉄道の所有する電車になります。
このように、2つの会社でそれぞれ線路や施設、車両を持っています。
じゃあ社員さんもそれぞれいて、小室では乗務員交代があって……。
とはならないんです。
北総線を普段見える範囲で運営するのは北総鉄道の社員さんで、千葉NT鉄道の社員さんは本社にいる数名しかいないのです。
ここまでの話をまとめると、
北総線は北総鉄道・千葉NT鉄道の2つの会社の設備で成り立ち、それを運用しているのは北総鉄道の社員である。
ということ。なかなか変わっていますね。
ちなみに千葉NT鉄道はもともとURの鉄道事業で、さらに遡ると住宅・都市整備公団の鉄道事業でした。
私が幼いころは北総・公団線という呼称でしたが、いつの間にかURを経て京成の子会社になっていましたね。
話を戻して、
ヘッドライトも点灯し、発車までまもなく。
本当はヘッドライト点灯の瞬間を動画に収めたかったのですが、ちびっこがカメラを構えた人々の前に立ち撮影を始めたためあえなく撃沈。そのうち再記録できる機会が巡ってくるといいなぁ。
その時前述の集団と並んで撮影したわけですが隣や後ろから耳をふさぎたくなるような言葉が呟かれていまして、使い道無いかななんて思う間もなく動画を消去しました。やっぱりお前ら屑じゃねぇか人生やり直して来い。
忘れていました。この異色の組み合わせもなかなか無いですから、記録しないとですね。
爽快なブレーキ緩解音を響かせ、千葉ニュータウン中央への旅が始まります。
快速ですので京成線内は途中の津田沼までは各駅に停車し、船橋競馬場 船橋 東中山 八幡 小岩 高砂 と停車します。
高砂を出ると、東松戸 新鎌ヶ谷 終点千葉ニュータウン中央に停車。
アクセス特急と同じ停車駅ですよこれ、かっ飛ばしますねぇ。
恒例の(
佐倉にて。発車標では千葉を略しちゃうんですね。
風車のところのカーブをググッと曲がります。
志津からひがなり君が、勝田台からてぃーてとら君が乗ってきました。
ひがなり君とはこの日が初対面。いつも仲良くしてくれてありがとねw
あれれ、津田沼ではきっちりと全部入れています。
表示機が新型なので、カツカツの文字にも対応しているのでしょうか。
東中山でしばらく停車。
録音しながら擬人化の案を練っていました。
余談ですが、このメモ帳のリング部分がつい先日壊れてしまいまして。リングが外せるようになっていて、中身の差し替えや補充が出来たのですが、結局補充する前に駄目になってしまいました。
今度からは持ち運ぶには少し大きいですがA5サイズのルーズリーフでも使おうかなと。まぁ、旅先などに何度も持って行ってますし、先日の快速列車の旅でもそれで擬人化の案練ってたんですけどね(
小岩で後続の特急を退避し、高砂に到着。
折り返して北総線へ入ります。
ホームグラウンドの北総線内では打って変わって爆走!爽快ですね!
新鎌ヶ谷を出ると、車内では乗車した人全員に乗車記念証が配布されました。
千葉ニュータウン中央に到着。
ニュータウンを切り拓くオレンジの帯。
80年代の電車ですが、そのデザインには先進的なものがありますね。
多くのファンに囲まれている人気者ですね。
警笛を鳴らしたのち、印西牧の原へと回送されました。
駅の外では、列車名の由来にもなっているほくそう春まつりが開催されており、色々な体験ができました。
こんなレア物の展示も。丸っこい電車は北総のマスコット的存在なのでしょうか。
とりあえずてぃーてとら君他数名と共に引き返して、適当に電車でも撮ろうかという話になりました。
白井でなぜか下車し、結局これを購入しただけで次の電車に乗ります。
次の電車は京急車での運転。みんなで仲良くボックスに座ります。
松飛台で下車。カメラの電池が無くなってしまったので、スマホで撮影。
何とか収まった(
結局大したことをせずに高砂へ移動。
高砂で一部の人と別れてとことこと金町線の近くを歩きます。
寅さんこんにちは。
暗いけど3500形未更新車をゲットできました障検ェ……
おや
更新車と未更新車の並びですね。ほんっと、同一形式には見えませんね。
路地裏電車、金町線。
面縦というものにチャレンジしてみたり。パンタや編成後方ぶった切ってるけどこれはこれで(
流し撮rアアアアアアアアアッ()
反対方向は真っ暗です。上スカが気になる。
そのまま金町駅まで歩いて来ちゃいました。ここでみんなと別れて単独行動へ。
no900-kumaichin-syuminonikki.hatenablog.com
近日(?)公開予定!
せんろ
びょん
短区間ながら楽しいですね。
高砂に到着。すぐに金町へ戻っていきます。
その後は再び北総線に乗車。駅メモで北総線コンプリートします。
あれ、引き込み線なんてあったの?
思い返せば、かつてここに来たのは幼稚園生の時。母といっしょになんとなく行ってみようという感じでした。運賃の高さにぶったまげてましたねw
その頃はアクセス線は開業しておらず、工事中だったような。
駅に到着した電車はそのままホームで折り返し待ちしていました。
特徴的な駅舎、印旛日本医大。
遠くに見えるヤックスは昔からありますね。駅前に何もなさ過ぎて仕方なくヤックスへ行き、長いソフトキャンディーを買ってもらった記憶があります。
ホームへ戻ったら既に電車がいました。これを逃すと20分待ちぼうけ。さっさと乗っちゃいましょう。
西白井で下車。
ばいばい
なぜ西白井で降りたか
じゃん
カバーの掛けられた車両らしきもの。噂では北総開業時の車両、7000形7001号車がここで保存されているとか。
駅の近くには本線とは別の線路が。
かつて西白井には北総線の車庫があり、現在もその跡が残っています。
少しずつ撤去をしているようですが、進捗ダメっぽいですね(
ちなみにこの前の某テレビ番組で、「京急川崎駅にあるパタパタ案内がすごい」とかいう内容があって、鉄道好きの芸人さんが色々な行先が出る度に大騒ぎしていたんです。
中にはこの西白井も含まれていたんですが、誰もそこに反応しなかったんですよね……。
ここに車庫があって、ここを終点とする列車が設定されていたことを示す数少ない遺物なのに……。
過去の車庫と現在のスカイライナー。その間には何もないように見えて、長い長い時間が流れている……そんな気がしたり。
中途半端に残った線路、実は制作中のモジュールの……。
このへん。「以前は繋がってたんだろうなぁ」なんて想像できる線路配置。
そんな西白井の情景が、形を変えてここに落とし込まれていたりします。
本線から外れたところにある1線だけの車庫と、1線だけの留置線……だったのかな。
けっこう小ぢんまりした車庫だったのかもしれません。
たくさんの大型土嚢?にはきっと、回収したバラストが入っているんだと思いますが……。
そろそろ帰りましょう。
ちゃんと形式ごとに丸っこい電車が描き分けられているのに驚き。
新鎌ヶ谷に到着。
その後は新京成で帰宅しましたとさ。
4000文字オーバー!ちょっと書くのに時間かかりました(
ストックしていた記事も尽きてしまったので今度からはまた、ゼロから始める記事作成です。頑張ってチマチマ更新しましょう。ええ(
それでは、また次回。