2015年夏 静岡遠征
どうも、架空鉄道の構想がヌベヂョンヌゾヂョンベルミティックスモゲロンボヨwwwwwwww状態のKumaichiです。
車両とかの細かい設定や直通に絡むダイヤの方も考えないといけませんね。冬休みにやりたい事としてリストに加えておきます。
本題です。
わたしたーちはここにいますー ここにはゆーめがちゃんとあるー
ふれんどーならともだちでしょー 「すき」っていってみたー daisuke
_人人人人人人_
> daisuke <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y ̄
はい、録画したがっこうぐらしを見つつ朝食です。夏休み前後はずっとこんな感じでした。
8/14 この日は金曜日。お盆休みの真っ最中なので、普段は殺人ラッシュの総武快速線もだいぶ空いています。
微妙に流し。付属編成4両は非常用扉のある前期車。
併結相手の基本編成11両は非常用扉の存在しない後期車でした。
なぜ同じ形式なのに非常用扉の有無という差があるのか?
これは、E217系の増備途中に非常用扉設置に関する法令が改正されたことにあります。
その法令とは、「長大トンネルを通過する車両は車体の難燃化と非常時に脱出するための非常扉を前面に設置する」ことでした。
その法令に則って非常用扉非常用扉を設置したE217系でしたが、1998年度後半から製造された7次車以降は法令改正に伴って非常用扉の設置が必要なくなりました。
ですが、7次車以降も6次車までと外観を揃えたためパッと見で区別するのはちょっと難しいです。
区別ポイントとしては、扉部分のハンドルの有無・ステップのドアレールの有無でしょうか。
車内からの区別ポイントは、
扉部分に脱出用のはしごが設置されているかどうか。
7次車以降は写真のようにはしごが存在しません。
区別ができるようになったら、これであなたもE217系ツウです!!
おっ、俺と同い年か。
16年間同じ路線を走ってきたE217系。すっかり、「快速電車」としておなじみの顔となりました。
多分錦糸町で各停に、御茶ノ水で中央線快速に乗り換えたんだと思う(
サマーランドか。この写真撮った時どんなこと考えてたんだっけ。
「プール行きたいなぁ」「某氏のツーリングコースだなぁ」
多分こんなことだったと思う。
今まで最新型だったE233系も、E235系の登場で最新型の座を譲ることに。
車内LCDや、E531系に似ている丸みを帯びた顔。そして万が一に備えた予備パンタ。
登場したばかりの頃は、どっかの鉄道好きくんも「すげー!!」なんて言ってたっけ。
それが最近まで増備され続けるとは思わなかったし、何より増備途中でその次の世代が登場するとは思わなかった( )
E235系の登場で「すげー!!」と言っているちびっこも、そのうちこんな風に写真撮って、幼少期を思い出しつつブログ書いたりするのかもしれませんね。
反対側にもE233系がやってきたので、E257系と一緒に。
改札を出て、新宿を起点とする私鉄に乗り換え。
そう、小田急です!!
特急ホームには30000形EXEの姿が。併結可能なタイプのロマンスカーです。
ロマンスカーの中で唯一ブルーリボン賞を取れていない車両ですが、私はこの車両が大好きだったりします。
着飾らない、シンプルな特急が好きという自分の好みが現れていますw
あ、EXEはVVVF音も良いですよ。
ミィィィィィィィィィィィィヒィィィィィィィィィィィンンンンンンンン↑↑
堪らない。
そういえば、近鉄30000系ビスタEXと、名前の響きが似てる気も……そんなことないか。
折り返し回送となったこの車両は、1000形のリニューアル車。
前照灯LED化、電連の2段化とそれに伴うスカート形状の変更、VVVF機器は最新のSic-VVVFに更新、ブレーキを電気指令式ブレーキに更新、ドアチャイムは3点式、車内設備の大幅リニューアル。
覚えてるだけでもこんなにたくさんのリニューアルを行い帰ってきた1000形です。
世代的には新京成8800形と大して変わりませんが、今回のリニューアルで新車同様の装いとなりました。
んで、私が乗るのはこの3000形。
各停でのんびりと行きましょう。
あれ、厚木じゃなくて船橋に戻ってるのか!?(違います)
車内はガラガラ。急ぎの人はみんな急行に乗っちゃいます。
EXEたんいい音だよもっと聴かせて!!!!!!♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡
さっき乗った編成は留置線へと引き上げられ、その後折り返して4番線に入ります。
急行には写真の8000形と先ほどの1000形が充当されることが多いです。
急行の先輩と各停の後輩。
ちょくちょくやってくる本厚木止まりの各停。
8000形や1000形に似ていますが、こちらは2000形。
地下鉄乗り入れが可能な1000形*1と大部分を統一して地下鉄乗り入れも視野に入れつつ*2製造されたが、本線の各停運用がメインとなっているとか。
小田原方面から8000形の急行が到着。次は終点相模大野。
8000形・1000形・3000形の一部は6+4の編成を組む。
新宿から10両で走り、相模大野で分割、6両が小田原へ、4両が藤沢や片瀬江ノ島へ行く運用もあったそうな。
EXEたーん!!(
再び8000形。よく会うね。
さっきの2000系が折り返してきました。
そこへすかさず本厚木止まりの2000形各停が。
入っては折り返し、入っては折り返し。留置線も意外と忙しいです。
その各停が留置線に入ると小田原からの8000形快速急行が。
藤沢行きの快速急行は多いのに、本線の小田原行き快速急行は少ない。
新宿から藤沢・小田原へと向かう湘南新宿ラインは、同じように新宿から藤沢・小田原へ向かう小田急のライバルです。
1分1秒を争う熾烈なバトルは、今日も繰り返されています。
すれ違う急行は1000形。リニューアルを受けていない車両もまだまだいます。
この車両の音は新京成8800形とすごく似てます。でも私にかかれば判別は一瞬です(ドヤ顔)
8000形の隣で折り返し準備をしてた2000形が出てきました。
そして振り向けば再びやってくる各駅停車。
各停が留置線に入ったら、その横を1000形の急行が通ります。
パターンダイヤが出来上がってるんですね。
振り向くと60000形MSEが到着。
地下鉄にも直通しちゃう万能な車両。しかしその代償で、先頭車の展望席は存在しないという、微妙なロマンスカー。
でもブルーリボン賞は取ってます。
入れ替わりでやってきたのは最古参の7000形LSE。
LSEよりも新しい10000形HiSEや20000形RSEは、ハイデッカー車であることがバリアフリー化のネックとなり、先輩であるLSEよりも先に引退となってしまいました。
HiSEは長野電鉄で、RSEは富士急で、それぞれ短くなったうえで余生を送っているそうな。
ちなみに、初めて乗ったロマンスカーがLSEで運転されたさがみ号でした。
VSEがデビューした2005年、もう10年も前の話なんですね。
あの頃宿で描いたLSEの絵、どうしたっけな。そういえば床下機器に三菱のロゴを描いてた気がしたけど、三菱製の床下機器積んでないみたいなんだよなぁ……。
スーパーはこねは小田原以外の途中駅は通過だったかな。とにかく速い。
地下鉄直通運用に限らず、本線の急行など、運用範囲は多岐にわたります。
今度から地下鉄経由で常磐線にもやってくるらしく*3、新京成との並びにも期待です。
この急行の後に、私が乗る予定の列車が来るはず……。
お ま た せ 乗 車 電 登 場
ま た 各 停 で す か
全 線 を 各 停 で 乗 り と お す こ と で 圧 倒 的 成 長
また3000形です。ちょっと残念ですが、まぁ仕方ない。
「撃てぇぇっ!!撃てぇぇっ!!」
閑静な住宅街の中にある足柄駅。その次は終点小田原。
接続の箱根湯本行き各停。
小田原~強羅は箱根登山電車の区間ですが、途中の箱根湯本まで小田急の車両が乗り入れしてます(実質小田急が乗っ取ってる)
小田原駅はこの開放的な駅舎が特徴的。少しヨーロッパな感じもする……?
ここからは東海道線で東へ。
ん?東?
今まで東から西に向かってたよね?
と言うか小田原から見て静岡って西だよね?
ツッコミどころはありますが、とりあえず車内でお昼ご飯。
コンコースにあるベッカーズのBLTサンドです。
新鮮な野菜を頬張っている時が一番幸せです(草食系男子)
降りたのは2つ隣の国府津。
上野東京ラインの電車は小田原より先、熱海や沼津まで直通します。
一方、湘南新宿ラインの電車は小田原止まり。需要が減り始める区間にたくさんの列車は要りませんからね。
ついでに言うと、小田原から先は貨物列車も同じ線路を走ります。
容量的にもどちらかは小田原止まりにしないといけないようですね。
E351系の停車位置目標。E351って中央線の特急車ですよね( )
さぁさぁ、私が乗る列車をご紹介せねば。
始発の沼津行き(御殿場線経由)
_人人人人人人_
> 御殿場線 <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y ̄
もともと東海道線のメインルートでしたが、熱海~函南間の丹那トンネル開通により主役の座を譲ったこの路線。
今では2両編成のワンマン列車がのんびり走りますが、昔は特急はと号も通ったとか。
前パンがカッコいい313系3100番台で沼津まで行きましょう。
松田で小田急に接近*4し、御殿場までもうちょいと言ったところで、
「撃てぇぇっ!!撃てぇぇっ!!(2回目)」
バックには山がそびえる足柄駅。
さっきの足柄駅と同一でもなければ、隣接しているわけでもない。
それもそのはず。さっきの足柄は神奈川県、こんどの足柄は静岡県の駅だから。
どうしてこうなったのか。せめて頭に社名つけたりしてほしい。
大久保(東京)と京成大久保(千葉)みたいに、足柄(静岡)と小田急足柄(神奈川)とか……。
下土狩は沼津の2つ前の駅。もともとは三島駅だったが、これもやはり東海道線の移動によって三島駅の名を現在の三島駅に譲ることに。
旧三島から2駅、新三島から1駅西に進むと沼津駅。
到着前に大きな留置線があり、夕方のライナー運用まで暇を持て余す373系が昼寝……いや、遊んでいますかね?
「暇を持て余した」「373系の」「「遊☆び」」
沼津に到着。
旧東海道線時代はここから東が電気機関車で牽引、西は蒸気機関車で牽引していたそうな。
線路だけでなく、架線もつなげる。簡単じゃないと思います。
柄でもないのに、当時の技術者・鉄道マンのことをちょっと考えてしまいました。
異形式併結。最近はJR首都圏でも見かけるようになりましたが、東海ではずいぶん前から行われているようで。
ブレーキ方式が同じだから簡単にできる*5ことですね。
ここでとある人と連絡をとり、この後の予定を決めます。
集合場所まで移動します。211系の2+3編成です。
熱海から島田まで、1時間半以上もトイレ無しの列車。ずっと乗り続けるのは精神的につらいです。
ちなみに、熱海から浜松まで2時間半以上トイレ無しの列車もあるとか。
先ほどの異形式併結ですが、313系にはトイレがあるので優先的に211系と組むようにされています。
編成中ほどにトイレを配置するため、313系は基本的に熱海寄りに連結されます。
まぁ、流石に島田までは行きません。降りたのは富士駅の一つ手前、吉原駅。
ここには広い側線が上下線ともに備わっています。
先日のN800形甲種輸送でも、上り側の側線が活躍したそうです。
ホームを富士方面へ進むと、出口とは別の階段が。
問. 下の文の[雨漏り注意]に当てはまる文字を、それぞれ書きなさい。
岳南鉄[雨漏り注意*1]線の[雨漏り注意*2]ば
答1. 道 答2. り
よくできました(ナドトォ)
三角屋根の、レールを再利用した骨組みの跨線橋。
幼いころにタイムスリップしたような、そんな雰囲気。
唯一違うのは目線の高さ。幼いころは窓の外なんか全く見えず、真っ白な壁と暗灰色の地面しか見えなかったでしょう。
自然と、「あぁ、俺も成長したなぁ」って口に出してしまいます。
全10駅から富士山が望める岳南鉄道。岳南の“岳”は、言うまでもなく富士山のことです。
なんてことをしていると、部活帰りと思われる女子高生が。
窓口に向かい、「ジャトコ前」と言うと小銭を置きます。
窓口の奥から手が伸び、小銭を取るとその代わりに硬券が差しだされます。
なんと。未だに硬券が普通に使われています。
後日撮影した物ですが、実は岳南鉄道は2回目。
3年半前、長らく岳南鉄道で行われてきた貨物輸送が終わる日に行ってました。
その時も硬券だったので、3年の間で変わらなかったのでちょっと安心。
自販機の上にはこんな表示が。
皆さんのご近所にもあるかもしれませんが、ニュースを表示できるタイプの自販機です。
岳南鉄道では各駅にこの自販機を設置し、ニュースの代わりに運行情報を流しています。
首都圏だと改札前に大き目のモニターを用意して路線図がチカチカするやつや、発車案内と併せて運行情報を流す設備がありますね。
平常通りか。良かった。
終端に積まれた砂利の上にはツツジらしき木が生えてます。
春先に来たらきっときれいなんだろうなぁ。
2両編成の停止位置目標。2両編成の運行もありますが、レールは錆びているのでこちらのホームにはあまり入ってこない模様。
もう少し先には1両編成の停止位置目標。
1両なのに編成と言うのはちょっとおかしいかな?
ほとんどの列車が1両なので、目立つように黄色です。
先ほどの高校生が買った切符は隣の駅まで。
たった一駅でも、ちょっとした会話が生まれるのが硬券方式の良いところ。
向こうには工場のタンクが。何のタンクだろう。
遠くには赤と白の煙突。
吉原から伸びる線路は、向こうにつながっていたり、いなかったり。
大体察せた人もいるかもしれませんが、この岳南鉄道は工業地帯のど真ん中を走ります。
ここ、富士市近辺は富士山からの綺麗な湧水が豊富なため製紙業が盛んです。
一説には、製紙工場から出た工業排水も普通に飲めるとか。真似する気は起きませんがね。
下記リンクによると、一時期は環境破壊が問題になったこともあるとか。
その教訓も踏まえて、各社各工場が環境に気を遣っているのでしょう。
向こうから、1両の電車がことこととやってきました。7002くん、元京王3000形の、7000形です。
前パンも、パンタグラフが変わるとちょっと表情が変わります。
運転台はいたってシンプル。
ブレーキ方式は自動空気ブレーキ。もっとも単純で、全ての空気ブレーキの基礎となった方式。
長編成では応答性の悪さを理由に、組み換えの多い貨物列車や客車列車以外には採用されなくなっています*6が、単行の7000形なら応答性も問題なし。
自動空気ブレーキではなく電磁直通ブレーキでした。失礼しました。
片道20分のショートトリップ。
終点、岳南江尾に到着。
車軸と、それを回すための主電動機が見えます。萌えますねぇ~w
反対のホームには8000形がパンタを下してお昼寝中。こちらも元京王3000形。
7000形との違いは、帯・前面の色が緑である点、2両編成である点、ブレーキ方式が電気指令式ブレーキである点。
予備知識なしで3つ目に気付くことができるなら、あなたは相当なツウかと。
尤も、私は運転台を見るまで気づけませんでしたが( )
振り向くと、ちょっと行き過ぎたところに行き止まりが。
まるでこの先にも線路を伸ばそうとしていたかのように。
事実、岳南鉄道はこの駅から先、沼津市街まで延伸する予定があったとか。
しかし、物理的にも経済的にも、実現は不可能と言ってよいでしょう。
駅舎の脇から、8000形を収めることができます。
駅から出て、駅舎を撮影。少し汚れた、コンクリートの簡素な駅舎。
もう少し先に行けそう(物理的には余裕で行ける)ですが、どこまでがこの倉庫の土地なのか分からないので、ちょっとやめときましょう。
うん、やめといてよかった。駅舎の先はこの会社の土地みたいです。
駅に戻ります。
俺「やぁ」
8000「Zzz……」
俺「……」
起きるのはもう少し後になりそうです。
踏切部分には、両端が切られたレールがそのまま埋まってます。
想像してみましょう。
このレールがまっすぐ伸び、向こうの高架の下あたりで本線と合流する。
本線との分岐が開通しています。踏切が鳴り出しました。もうすぐここに列車がやってくるようです。
ギシギシ。小さな機関車が小さな貨車を連れてレールを軋ませながら近づきます。
さっきまで私がいた場所のちょっと手前で止まりました。
すぐに、貨車の扉が開けられ、フォークリフトによって右側の倉庫から出荷される紙が積まれていきます。
その間に機関車は貨車と8000形の間をすり抜け、折り返し準備にかかります。
積み込みが終わったようです。貨車の扉が閉められ、機関車が汽笛を鳴らして動き出します。
小さな機関車と小さな貨車が、吉原に向かって走り出します。
そしてまた、駅を静寂が支配します。
何だか心細くなってきました。
はっと我に返り、観察再開。
富士山ビュースポットとな。
まぁ、見えませんよね( )
2両編成も平日に限って定期で運転があるみたいです。
岳南江尾に常駐しているようで、朝夕ともに岳南江尾から出発して岳南江尾に戻ってくるようです。
ホームへの通路には、低い柵があります。レールを再利用。日本人のモッタイナイ精神が良く表れています。
ミラーに映る1000形、1018号車……って違いますね。8101ですね。
ワンマンミラーに映る電車を撮るのも好きです。
運転台をのぞき見。
最近では特に珍しくなくなったT字のワンハンドルマスコン。
左右のボタン類はワンマン運転の開始によって追設されたドア操作のボタンでしょうか。
1本見送りましょう。
振り返ると、そこには屋根とちいさなベンチが。
緩やかな弧を描く屋根がちょっとおしゃれ。手前の花壇は地元の方が管理しているのかな?
踏切が鳴って、今度は7001くんがやってきました。
前パンもしっかりいただきますよ。
録音機材をセッティング中の出来事。
運転士さん「録音するんですか?」
私「はい」
運「そうですか。録音するのは全然かまいませんが、もし他のお客さんに『やめて!!』と言われたら従うようにしてください」
私「あっ、わかりました」
運「結構ファンの方も来るんですけどね、最近は肖像権だとかで厳しいじゃないですか。同じように、このような録音も人によっては“盗聴”とされてしまうんですよ。訴えられたらそれが通ってしまうような時代なので、気をつけてくださいね」
私「そうですね、ありがとうございました」
運「あからさまに録っていても隠して録っていてもいろいろ言われてしまうので、難しいですけどね(笑)」
私「あぁ~そうですね……。うまいことその間を取って機材を置きます」
運「ですね、お願いします」
以上、上記動画の説明欄より抜粋。
のんびりとした風景が広がる岳南鉄道。
その風景目当てに来る鉄道ファンも多数いるようですが、それを快く受け入れられない沿線の利用者の方もいるようです。
あくまで我々は、「撮らせて(録らせて)もらってる」「乗らせてもらってる」
この事実を忘れないようにしたいですね。
放送スピーカーの中には KTR(Keio Teito Railway) の文字が。
使えるものは使っちゃう。ここにもモッタイナイ精神がありますね。
改造されたのは私が生まれる3年前。この時点で大先輩です。
全区間往復で700円。フリー切符で1往復以上すれば元がとれちゃいます。
今度は斜め上から運転台を見てみましょう。
真鍮色のマスコンハンドルがいい味出してます。
マスコンとブレーキの間にあるのがドアスイッチですね。
終日有人駅は吉原だけ。貨物輸送が健在だったころは比奈も有人駅だった気がする。
車内にいるのはほんの数人。のんびりことこと、岳南鉄道。
工業地帯のど真ん中
パイプのトンネルをくぐるという、ちょっと珍しい光景。
終点吉原に着くと、ホームには待ち合わせをしていた人の姿が。
先日のオープンキャンパスの話にも出てきたSUZUKEN君です。
とりあえずもう一回岳南江尾へw
お ま た せ
本 日 2 回 目 の 岳 南 江 尾
何やら遠くからお祭りの音が聞こえるので、ちょっと行ってみることに。
江尾ふるさと祭りですか。
そういえばまともに昼飯食べてなかった気がするので、フランクフルトと焼きそばを食します。至って普通の、お祭りの味。
帰り道に見つけた、まだ新しいタイプのJRFコンテナ。
誰かが購入して、倉庫代わりにでもしているのでしょうか。
再び駅です。
締め切られた駅の係員室の中に、こんな機械が。多分ポイント系の制御装置だと思う。
ん?あれはタブレットを入れるカバン!?
私もSUZUKEN君も大はしゃぎ。貴重なものが遺されていました。
吉原行きがやってきました。
終点までは行かず、途中の岳南富士岡で降ります。
もしかしたらと思い、富士岡でも係員室へ。やっぱりありましたw
ポイント周りをちょっと観察。
ポイントから別れた線路をたどると、小さな車庫が。
7003くんとED402くんが並んでお昼寝。
簡素なジャッキ、トタンの外板と、近所の板金屋みたいな佇まいです。
くるっと振り向けば、そこには往年の岳南鉄道を支えた機関車が。
このED29は、貨物輸送廃止時にはすでに動いていませんでしたが、予備車扱いだったそうな。
後ろにはED501が連結されています。ボンネットが付いた独特のシルエット。
なんと昭和3年製。御年87歳のおじいちゃん。
ボンネットの上では猫が気持ちよさそうにお昼寝中……
その後ろにはワム38128とワム380411が連結。岳南鉄道の紙輸送で活躍した貨車の一つでした。
最後尾はED403が連結。筆頭荷主だった大昭和板紙のロゴ付きです。
車内にはこんな札が。休車中……ですか。
トラック輸送による環境問題の深刻化、そして鉄道による輸送への見直し。
n*7年ぶりに休車札を外され、整備を受けたうえで機関車たちがまた元気に走り出す。
最古参のED29も新車同様にリニューアルされ、一時は衰えた岳南鉄道の復活……!!
多くの近隣住民と鉄道ファンに見守られ、新しい貨車を率いた小さな機関車が再び吉原を目指す……!!
そんな未来、来るのでしょうか。
そうそう、言い忘れてましたが、切符を買う時にこんなものも買っちゃいました。
と言うことで、1/1&1/150のツーショット。
それにしても、この駅は猫が多いですね。
俺「岳南鉄道が好き過ぎて、駅に棲みついちゃったかニャ?」
猫「一理あるニャ」
俺「俺も駅に住みたいニャ」
猫「ここは譲らないニャ」
俺「」
この後、2両編成の電車に乗るため岳南江尾に戻りたいのですが、まだまだ時間がありそう。と言うことで、一駅先の比奈まで行きましょう。
駅の外から1枚。
あれれ?もしかして徒歩ですか?
2人で話し合った結果、
「今から徒歩で行けば、比奈到着は電車よりもちょっと早い」
という結論が出たのです。
╭◜◝ ͡ ◜◝╮
( •ω• ) もくもくもくようび~
╰◟◞ ͜ ◟◞╯
___
/_/_/|うるせぇ今日はきんきんきんようびだ
| |•ω• | | |
|// | /
 ̄ ̄ ̄
タンクを支えるグレイッシュブルーの鉄骨。光り輝く銀色のタンクと配管。安全第一、目立つ黄色の手すり。
そして吐き出される煙。
静的な工場の設備、動的な煙、そして空。
三者が織りなす一瞬の風景は絶えず形を変え続ける。
この一瞬を切り取るのが好きだから、私はこうして歩いているのかもしれません。
道端の水路。とても透き通っています。
多分この中にも工業排水が混じっているのでしょうが、汚い感じは一切ありません。
比奈駅構内が見えてきました。
比奈駅に到着。結局電車で来た方が早かったようです( )
電車が吉原で折り返し、再び比奈に戻ってくるまでしばらく待ちます。
広大な土地。かつて比奈駅は岳南貨物のターミナル駅でもありました。
駅前には鉄道模型のお店もあります。今回は時間の都合でパス。
ホームのある本線、そして脇に並ぶ側線。
この先もずっと続いて、末端は工場の敷地内まで入っていきました。
おしゃれな屋根も、この駅は少し大きめ。
無線機が鳴り、それを合図に奥で休憩していた機関車が動き出します。
ポイントが切り替えられ、奥にある製紙工場へと消えていきます。
しばらくすると、遠くから汽笛が。
長い長い貨車たちを率いて、機関車が帰ってきました。
吉原方に機関車を付け替え、ホームへと貨物列車がやってきます。
吉原からは空っぽの貨車を連れた機関車がやってきて、私の横で止まります。
信号が青になり、吉原へと貨物列車が発車。
それを見送ると、今度は到着した貨物列車が各工場へと貨車を振り分けていきます。
ポイントの少し向こうまで列車は移動、工場へと続く線路へ貨車を押し込みます。
勢いが付いた状態で切り離された数両の貨車は右側の工場へ、残りの貨車は左側の工場へと転がっていきます。岳南名物突放入れ替えです。
そして機関車は仕事を終え、奥の線路へと。次のお仕事までしばらく休憩。
そんな日常が、ほんの4年前まで続けられていたんだなぁと思うと、ちょっとさびしい気持ちになります。
たった4年でこんなにも変わってしまうんだ。ってね。
夕日の中のアスナさん、今日もきれいです。
夕日をバックに、7002くんが戻ってきました。
本日3回目の岳南江尾。8000形はパンタを上げ、出発に備えます。
もともとは同じ形式だった7000形と8000形のツーショット。夕日が眩しいです。
乗って良い……のか? いや、ダメだよね( )
ドアが開いたので、真後ろから運転台を拝むことに。
SUZUKEN君はかぶりつき目当てで前の車両へ。
私はモーター音目当てで後ろの車両へ。
8000形、夕方最初のお仕事が始まります。
比奈の次、岳南原田にも倉庫からの貨物の荷役がありましたが、現在はご覧のとおり。
線路は最低限撤去され駐車場に、倉庫は葬儀場になってしまいました。
今回、3年半ぶり2度目の岳南鉄道でしたが、色々なところが変わってしまいました。
貨物が好きなので、ついつい貨物が走っている状況を妄想してしまいましたが、ある意味それも、鉄道の楽しみ方の一つなんじゃないかな、と。
あっという間に吉原に到着。入れ替わりで、7002くんが出発しようとしています。
また……ね。
日中は2編成、ラッシュ時でも3編成。
工業地帯の小さな私鉄は、月日を重ねるごとにどんどん小さくなっているような気がしてなりません。
JRのホームへ乗り換えても、つい振り返ってしまいます。
目を離したすきに、さっきまであった風景が消えてなくなってしまいそうな、そんな気がして。
その後、東海道線で三島へ。
まだ終わらないよ(え
翌日。
今日は三島田町からスタート。今日は母と妹も一緒です。
やっぱり今日もフリー切符。関所の通行手形を模した形が特徴的。
ちなみに、今日はその後の都合もあるので母が払ってくれました。やったね。
次の修善寺行きに乗っていきます。
富士山が世界遺産に登録された時から順次ナンバリング付きの4か国語表記になりました。
やってきました修善寺行き。
20m級3ドア。観光客の他、通勤通学輸送にも対応した転換クロスシート、もしくはセミクロスシート、もしくはロングシートの電車、それが3000系。
なんだか313系みたい( )
ことこと走って、終点修善寺。
実は小6の頃は駿豆線沿線民で、修善寺にも過去に一度来ているんですよね。
反対のホームには185系C5編成。特急踊り子もやってくるのが駿豆線。
駅舎はリニューアルされ、だいぶ雰囲気が変わりました。
わぉすっごい。立派ですね。
発車表もLCD。大都会かよ。
おみやげやでおみやげを買って、その後は上り三島行きで伊豆長岡へ。
着きました。伊豆長岡。
ガラス張りのしゃれた駅舎です。リニューアル前の修善寺駅もこんな感じでした。
横断幕でこの後の予定を大体察せると思います( )
無料シャトルバスに乗って10分。
世界遺産韮山反射炉に到着です……って、意外とちゃちいな( )
アングルの問題ですね。うん、大きい大きい(棒)
江戸時代、外国の脅威から国を守るため、東京湾に砲台を設けて接近する外国船を威嚇射撃・場合によっては撃沈させることを目的とした大砲作りが幕府の課題でした。
そこで、幕府は大砲を作るための施設を作ることにしました。
山口の萩、そして静岡の韮山に、それぞれ炉を建設し、鉄を溶かし大砲を製造し、出来上がった大砲は江戸に運ばれました。
現在のお台場が大砲が配置された場所です。
大砲がいっぱい。
鼻が高いなてつざえもん。
ソフトクリームのコーンも反射炉風……?
いやいや、もともと反射炉に格子模様は付いていなかったんですよ。
度重なる地震から反射炉を守るために明治以降に追加されたものであり、デフォルトの装備じゃないんですよね。
んで、みんなが「「「もういいや」」」って口をそろえてしまったので、1時間ちょいで駅に戻ってきました( )
大仁駅に着きました。
駅前には足湯があります。
夏なのでクッソ熱いですwwwww
飲泉。おいしいとかそんなのはよくわかりません( )
母と妹は宿に戻って休憩するそうですが、私は別行動。
えぇ……(困惑)
目的はもちろん録音ですw
三島に到着。折り返しは3000系6次車。
右手操作のワンハンドルマスコン。シンプルな配置ですね。
大場駅の近くには、伊豆箱根鉄道の工場があります。
小田原を走る大雄山線も、三島まで甲種輸送された後、ここまで運ばれます。
製造は平成9年。E217系とほぼ同い年ですが、こちらは抵抗制御。
既存のシステムの方が勝手が良いこともあるんです。
修善寺まで音を録っていましたが、残念なことに途中でメモリがいっぱいになってしまいました。という訳でそのデータはポアすることに( )
折り返しは7000系。
転換クロスシートでゆったり座れます。
足元に録音機器。冷房がうるさい夏はこうしています。
製造当初はJRへの直通も検討されたこの7000系。
最高速度は120km/hと、ハイスペック抵抗車ですが、中間車が2ドアであることが理由で乗り入れ拒否されてしまうという結果。
方向幕も沼津や熱海行きが収録されていたそうですが、今はどうなったんでしょう……。
三島田町に戻ってきました。
宿に向かう途中、山車に遭遇。毎年この地域で行われるお祭りです。
夜になると一層盛り上がります。
神社の目の前で、地元の名物、三島コロッケをパクリ。
年に1度のお祭り、当然地元の方々は大はしゃぎです。
小6のとき、私もこのお祭りに遊びに行ったこともありましたが、
「地元民の、地元民による、地元民の為の祭り」感が否めず、転入生だった私にとってはあまり居心地が良くなかったような……。
まぁ、今となってはそんなこと気にせず普通に眺めて楽しんでいますがねw
帰りは新幹線。
そして実家のような安心感、総武快速線。
先ほど例として挙げたE217系でしたが、乗った車両がまさに平成9年製。
製造年が同じなのに、機械が全く違うというのも面白い話ですね。
こうして、夏の静岡遠征は幕を閉じましたとさ。
驚きの文字数13447文字!!
最後まで読んでくださりありがとうございました^^
それでは、また次回。